コリントの信徒への手紙一1:22~23
「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。」
コリントの町の教会では、仲間割れが起きていました。元々は、パウロが来て、イエス様のことを宣べ伝えたおかげでできた教会です。ですが、パウロが他の所へ行った後、代わりに「私がリーダーになる」という人が何人も出て、教会の中にグループができ、お互いにケンカばかりしていました。誰が、奇跡を起こせるか、より強いか、より知恵があるか、より上手に話せるか。そんなことで張り合っていたのです。パウロはユダヤ人でした。ユダヤ人の多くは、奇跡を起こして他の人を圧倒する力があることが、その人に神様がついている証拠だと考えました。いっぽう、コリントはギリシアの町です。ギリシア人は、知恵があること、上手に話せることを特に好みました。コリントの教会もそういう雰囲気でした。今で言えば、「頭のいい人、勉強のできる人が偉い」という考えに傾いていたのです。
コリント教会の様子を聞いたパウロは手紙を書いて、厳しく注意しました。「私が初めに宣べ伝えたのは、頭の良い人が偉いということですか。奇跡を起こせる人が偉いということですか。私たちが宣べ伝えるのは、十字架につけられたイエス様だけです。十字架のイエス様は、奇跡を起こしませんでした。強さを示すことも、頭の良さを見せつけることもしませんでした。でも、そのイエス様が私たちの救いなのです。神様の賢さ、神様の強さは、十字架のイエス様にこそ、あらわれているのです。」
自分の力や知恵を自慢する人たちには、本当に大切なことが分かっていません。本当に大切なのは、十字架につけられて私たちを救ってくださった、「神の力、神の知恵」であるイエス様です。そのことが信じられる時、お互いに助け合い、愛し合う教会ができるようになるのです。 (松谷祐二)