コリントの信徒への手紙二 4:18
「私たちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に存続するからです。」
私の父が亡くなった時、経堂北教会の前任の岸先生に葬儀をお願いしました。岸先生は「井の中の蛙大海を知らず。されど天の高さを知る」また「空の高さを知る」と言う言葉と、職人の人生を聞き書きしている塩野米松さんと言う方のお話をしてくださいました。塩野さんは日の当たらない場所で、けして有名では無い、けれど一つの事に人生をかけてお仕事をされている様々な職人さんたちの声を聞き、取材を続けられた人でした。
私の父は舞台衣装制作の職人でした。2歳でお父さん、5歳でお母さんを亡くした父は家族を大切にしていました。ずっと家は貧乏でしたが、父は霞を食べて生きているような人で、生活にキリキリせず、お陰で私達は家が貧乏だと思った事はなく幸せに生きてこられました。そんな父の喜びは舞台に立つ人たちの衣装を作る事でした。舞台衣装を作る際、パターンと言って型紙を作る方法を学ぶ学校に行かなかった父は、独学で学びデザインを見て、その絵の通りに衣装を作る事が出来る人でした。しかし経済的な事には無頓着で母は随分苦労をしたかもしれません。父は「デザイナーが求めるものを形にする」という「天」を求めていたのだと今は思います。
心の中にある、人には見えないものを求める事。それは私達の信仰に近いものだと思うのです。私達がイエス様に守られて愛を信じ今この時苦難を乗り越えて、永遠の栄光をもたらせて下さる恵みを思います。 私達は先人に神様が求めるものをよりよく形にする事が出来るでしょうか。自分の一生をかけて見えないものに目を注ぎ、愛を求めて天の高さを知る事が出来るように、求めて求めて知ろうとする努力を続けていきたいと思います。(牧内美和)