「神を愛している」と言いながら、自分のきょうだいを憎む者がいれば、それは偽り者です

ヨハネの手紙Ⅰ 4:20

「「神を愛している」と言いながら、自分のきょうだいを憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える自分のきょうだいを愛さない者は、目に見えない神を愛することができないからです。」

 聖書では、「同じイエス様を信じる人」、クリスチャン同士のことを「きょうだい」と呼ぶことがあります。日曜日ごとに同じ教会に集まる人たちは、お互いに「きょうだい」です。皆が同じ親から生まれたわけでもないのに、「きょうだい」(兄弟・姉妹)と言います。イエス様を信じる人たちは、「神様の家族」のようなものだからです。

 教会学校に集まる皆さんは、洗礼を受けていないとしたら、まだ「クリスチャン」ではないので、お互いに「友達」ではあっても、正確には「きょうだい」ではありません。でも、いつも一緒に礼拝していて、神様、イエス様を信じているのだとしたら、けっこう「きょうだい」に近いですね。

  イエス様は、「きょうだい」は互いに愛し合いなさい、とお教えになりました。お互いを大切にし、助け合うことです。「きょうだい」以外は愛さなくてもいい、ということではありません。誰でも、お互いを大切にし、助け合ったほうが良いのです。でも、イエス様を信じている「きょうだい」同士は、特に愛し合わなくてはいけない、とイエス様は言われます。「きょうだい」たちは、「神様がまず私たちを愛してくださった」、「イエス様がまず私たちのために十字架にかかってくださった」ということを知っている人同士、神様の愛の大きさを知っている人同士です。だから、イエス様が愛してくださったように、まずお互いに愛し合うべきなのです。

 これが意外と難しい時があります。「お互いに気が合うから愛し合う」のとは違うからです。「きょうだい」同士なのに、「あの人は嫌いだから無視しよう」なんて、つい思ってしまうことがあります。イエス様の愛は奥が深い。教会や教会学校は、たぶん、イエス様の愛を学ぶ学校なのです。(松谷祐二)