マタイによる福音書5:43~44
「あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と言われている。しかし私は言っておく。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
「隣人を愛し、敵を憎め」と言われているとあります。当時のユダヤ人は隣人を愛するということは、迫害してくる異邦人から自分たちの仲間のユダヤ人を守る、迫害する人々を攻撃し、憎むということを当然のことと考えていたのです。私たちも自分のことを大事にしてくれる人を隣人と思い、自分のことを嫌っている人や攻撃してくる人は隣人じゃないと考えているのではないでしょうか。2000年たった今でもガザに暮らすパレスチナの人々が迫害を受けているとか、アメリカではよその国から来た人々を追い出そうとしているといった迫害に苦しむ人が大勢います。「隣人を愛す」ということが争いを生み出しているのです。イエス様はその敵と味方の壁を打ち崩すように言われたのです。「迫害する者のために祈りなさい」と。迫害する神さまを信じない人が神様に出会い、神様に変えられて救いの道に至るようにと願うことが、本当の隣人愛であり、神様の願いなのです。
愛するというのは、「好きになる」とう気持ちのことではないのです。その人のことを大事にするという意思のことなのです。私のことを嫌っている人や私にいやなことをする人を好きにはなれなくても、相手に憎しみを返すのではなく、相手のために祈ることが、イエス様の言う隣人愛なのです。神様は善人にも悪人にも太陽を昇らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださいます。欠点もあるこの私たちを徹底して愛してくださる神さまの愛を知ることで、私たちは「愛されたから愛する」というこの世の理屈を超えて、天の父に似たものとして敵を愛する者へと変えられていくのです。神さまの愛にならって、愛をもってこの世での生活を走りぬくことができますようにと神さまに祈り、ともに歩んでいきましょう。(大友太郎)